「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」はアユタヤ旧市街の島の外、南側に位置し、広大な敷地の中に修復された礼拝堂と奥側に住居跡などがある仏教寺院遺跡です。
2015年の発掘調査が行われていますが、その敷地の広大さのためか分かりませんが発掘調査も完全に終わっておらず、まだ埋もれている遺構がかなり残っているのが分かります。
今回は「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」をご紹介します。
「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」とは?
アユタヤ旧市街の島の外、南側の田園地帯の中にあり、広い敷地に修復された礼拝堂と東側に発掘の進んでいない遺跡群が眠る仏教寺院遺跡で、アユタヤ王朝時代の運河の反対側には、以前、ご紹介した「ワットタウェット」があります。
他の遺跡同様、正確な建立時期や理由などは分かっていませんが、アユタヤ王朝第30代「ナーラーイ王(1656~1688年)」の統治時代のアユタヤ王朝年代記に記載があります。
その迫害に「Mon」とよばれる仏教集団の一団も含まれており、厳しい弾圧が始まったことで「Mon」側も都市を占拠したりと抵抗をしますが、最終的には難民としてアユタヤ王朝方面へ下るしかありませんでした。
その状況を憂いた「ナーラーイ王(1656~1688年)」が、「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」に難民を受け入れたといわれています。
この記述から、広大な敷地に遺跡が広がっている理由が分かります。
寺院自体の敷地は長さ約110m、横幅約160mと考えられていますが、それ以上の場所にも多くの遺跡を散見することができます。
「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」の見どころ?
1:修復された礼拝堂
寺院の西側、敷地の入口にあるのが修復された礼拝堂で、長さ約30m、幅40mほどの大きな基礎の上に作られており、聖域の境界を示す「セーマー」を設置していたと思われる跡で囲まれています。
また礼拝堂跡の基礎の一部は、大きく育った樹木で侵食されており、その奥に小さな祭壇が配置されています。祭壇奥の壁には、タンブンで寄贈されたと思われる「白い仏像」が安置されています。
2:井戸の跡
他の遺跡では見ることが少ないのですが、レンガを丸く配置した「井戸の遺跡」が数多く並んでおり、寺院の入口付近だけでなく、奥側の住居跡にも数多く配置されています。
これも多くの難民を受け入れたことで、飲料水の確保に使われたのだと思います。
3:住居跡の遺跡群
礼拝堂の東側には、レンガが積まれた住居跡が奥まで広範囲に続いており、見た感じでは一部分だけ発掘調査が行われた跡が残っていますが、敷地全体を発掘するのは不可能だったのだと思います。
2015年の発掘作業時には、陶器の破片が数多く出土しているようで、現在は修復されたレンガ道跡などが残されています。
「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」の雰囲気は?
間違ってGopro Hero7 Blackのタイムワープ機能で動画撮影していますが、何となく雰囲気は分かって頂けると思います。
「タイ猫Yuwiのアユタヤ観光案内」の動画は「GoPro Hero7 Black」で撮影しています。
「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」への行き方
「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」はアユタヤ旧市街の島の外、南側に位置し、交通の便が非常に悪い場所にあり、余り治安の良い場所ではありませんので、国鉄アユタヤ駅からはトゥクトゥクを利用して行かれることを強くオススメします。
国鉄アユタヤ駅からであれば片道150バーツで行くことができますが、周辺には「ワットプッタイサワン」をはじめ、「セントジョセフ教会」や「ワットチャイワタナラーム」などもありますので、3時間600バーツで貸切って行くと便利です。
また可能であれば、ご友人などと一緒に複数人で行かれるとセキュリティーの面で安心です。
名称 | ワットターホイ |
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名称(英) | Wat Tha Hoi |
営業時間 | なし |
拝観料 | なし |
住所 | Samphao Lom, Amphoe Phra Nakhon Si Ayutthaya, Chang Wat Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000 |
まとめ
アユタヤ旧市街の島の外、南側にある「ワットターホイ(Wat Tha Hoi)」をご紹介しました。2015年に発掘調査が行われたばかりの遺跡で、しかも全ての発掘が完了していない、ある意味レアな場所でもあります。
アユタヤ王朝が難民を受入れ、ここで生活していたという事実を知ると、あちこちに埋もれているレンガも当時は大切な意味があった建築物だっのだと感慨深くなります。
ただ先にも記載しましたが、余り治安の良い地区ではないので、もし観光で行かれる場合には十分に注意をされて下さい。
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